ついに飛行機に乗れることになった5年生のときは、本当にうれしかった。あれを上回るうれしさと緊張は、結婚のときと、子供が生まれたときぐらい。その何週間も前から、どきどきしている。なんだろうな、あの感覚は。初めて女の子にチューをしようと、ああかなこうかなと企てていたのが、ちょっと似てるか。
それまでに父はもう飽きるほど飛行機に乗っていて、それがまたうらやましく、悔しかった。で、いろいろ教えてくれる。
「行きは737。帰りは727。737はスマートじゃないから嫌だろうけど」
――僕はあれが大好きなんだよ。
「翼はね、上下にゆらゆらするんだよ」
――へえ!
「そうしないと、ポキッと折れてしまう」
――そういう風に作ってあるんだね。
「離陸した途端にね、飛行機の後ろのほうで、必ずゴン! って音がするよ」
――何の音?
「さあ。『それ行けー!』って、蹴飛ばしてもらってるんじゃないのかな」
――ウソだー。
でも、737が滑走路から離れた瞬間、本当に「ゴン!」と聞こえた。あの音、離陸のとき必ずしますよね? ギアにかかる加重がなくなった瞬間に機構が伸びる音なのかな。知っている人がいたら、教えてください。
そうやって、私は遂に雲の上を見た。すごい。すごい。すごい。横も、上も、下も、見えるもの全部に感動する。
無理と知りながら、あの雲の上を歩いてみたいな、川縁の土手のように長く続いている雲の上を自転車で走ってみたいなと、何度も思う。そして、それができるのは、飛行機に乗ることなんだなと考える。
そうやって、ずーっと、首を曲げて顔を窓にくっつけている。そういう飛行機の乗り方は、40歳を超えた今も変わらない。
感動したのは、もう一つある。今思えば、本格的なサービスなるものを受けたのは、あのときが最初だったのだと思う。当時の言葉でスチュワーデスさんが、にっこり微笑んで飲み物を優しく渡してくれたり、飴を差し出してくれたり。あのころ、飛行機に乗る以前の田舎の子供は、そういうことをしてもらう機会がほとんどなかった。
街のラーメン屋さんも、レストランも、喫茶店も、親切ではあるけれど、もっと庶民的だった。生活の喜怒哀楽丸出しのサービス(これは嫌いじゃない)。乗り物で親切にされることなど皆無。バスの車掌さん(バスガール)は忙しそうだし、タクシーの運転手さんはあっちばかり向いているし。連絡船では、乗組員と言葉を交わすことはほとんどない。青森から東京まで向かう列車では、車掌さんは厳しい目で切符をチェックするだけ。
そして、あのころの東北本線を走る特急や急行の車内販売の売り子さんは、私にとっては正真正銘の“化け物”だった。子供のいたずら書きのように化粧を塗ったくった顔面、毒々しく染めて、火事にでもあったかのようなパーマの髪。それがとびきり乱暴な種類のしゃべり方で何か言う。人語をものす妖怪という感じ。それで金をひったくって、品物をぶん投げる。全員がそういう風だったわけではないのだろうけれど、私が見た人たちはそうだった。だから、国鉄に乗るのは怖くて、嫌で、大嫌いになった。
そういう乗り物が地を這っている一方、雲の上の飛行機は、本当に平和な天国だった。背筋を伸ばして、にっこり笑って、誇らしく歩くスチュワーデスさんを見て、ただただ感心していた。空港でみかけたパイロットたちが、またもちろんかっこいい。彼らも、服装だけでなく、歩き方や身のこなしが違っていて、子供ながらにその違いを感じさせられたのだと思う。飛行機に乗って初めて、そういう人たちに接した。
あの日、全日空は、私にとってただ飛ぶからかっこいいものではなくなった。かっこいい人たちが飛ばしているかっこいいものになった。
そうそう。感動したことはまだある。地上で誘導や、荷物の積み卸し、整備をしている人たち。くるくる走り回って、忙しそう。そして、さあ行くというとき、さっと飛行機から離れて、そのままどこかに行くかと思ったら、くるりと振り返って、並んでまっすぐに立った。
サプライズ。こちらに手を振ってくれている――飛行機に乗りたくて乗りたくてたまらなくて、だからその日は最高にうれしくて、という私の気持ちを全部わかってくれているように感じた。照れくさく思いながら、窓に手を当てて、かすかにそれを揺らしてみた。
子供ながらに、仕事とか商いというのは、働いて、その分のお金をもらうだけのものと思っていた。でも、乗客と直接言葉を交わす場面があるわけでもない人たちが、そうして手を振ってくれているのを見て、働くっていうのは、もう少しなにか違うものなんだろうなと、漠然とだけれども感じた。
社会科なのか道徳なのか、飛行機に1回乗っただけで、私はずいぶんいろんなことを勉強したように思う。はっきり説明できなくても、何かを感じ取った。
そしてとにかく、私にとって飛行機というものが、ぐっと身近で大事なものになった。とりわけ、全日空が、一段と大事なものになった。