エデンの園には何がある? アダムとエバが住んでいる。蛇が住んでいる。蛇がエバをそそのかして、エバがアダムをそそのかして、善悪の知識の木の実を食べた。神は「食べるなって言ったのに」と怒って、アダムとエバをエデンの園から追い出し、蛇を呪った。……そこにあったのはそれだけか?
創世記は、エデンの園をもう少し詳しく描写している。
エデンの園には川があって、下流四つの川の源流となっていた。神はそこに人を置いて耕させていた。木は善悪の知識の木だけではなかった。「見るからに好ましく食べるのに良いすべての木」があって、中央には善悪の知識の木のほかにもう1本、いのちの木というものがあった。
食べるのを禁じていた善悪の知識の木の実を、アダムとエバが食べたのを知った神は、この上いのちの木からも食べて永遠に生きないように、エデンの園から追放した。
二人を追放した後のエデンの園はどうなった?
神は「いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた」とある。
エデンの園はまだあるのだ。いのちの木も、まだあるのだ。いっぺん見てみたいものだ。
と、思っていたら、それは人々の頭の中にあると、「生きるよすがとしての神話」でジョーゼフ・キャンベルは言う。
ものごとを善と悪とに分けて考えないところに、永遠の命につながる本当の智恵がある。それを象徴する世界樹が「いのちの木」。これをケルビムという二人の屈強な天使が守る。そのイメージが、頭の中にある……。
と言われても、やっぱりこの目で見てみたい。
と思っていたら、キャンベルはその光景の具体的な例も挙げてくれていた。なんと奈良の東大寺。
山門の左右に剣を振りかざした2体の金剛力士立像が立つ。これがケルビム、二人の力強い天使。
ここを通り抜けた先の大仏殿に、巨大な盧舎那仏が座す。盧舎那仏が座っているのは巨大な蓮の花の上。これがいのちの木のイメージだという。
こう聞くと、こういう場所って、日本なら他のお寺にもあるし、実は洋の東西を問わずもっと他にもいろいろありそうに感じる。
これはきっと人間の脳がどうしようもなく思い浮かべる野生のイメージなのだろうなと思う。――永遠の命を象徴する植物と、それを守る二人の強い戦士。
しかしなぜ植物なんだろう。剣を振りかざす天使はなぜ二人なんだろう。考え始めると止まらなくなる。
今日もそれを考えながら通勤電車に揺られてみる。