子供の学校の卒業式で「君が代」を歌った。 生徒、教職員、父兄、もちろん全員起立。つつがなく斉唱。誰しも、校歌よりも賛美歌よりも上手に歌う。
私はこれを小学校で習った。習ったけれども、正式の場面で歌ったためしがなかった。恐らく、国歌として「君が代」を歌ったのは、今日が初めて。
習ったのが小学校で、聴いたことがあるのはオリンピックの表彰式などで、ということなので、個人的にこの歌に好戦的な何か、抑圧的な何かを感じることはない。
国歌があること自体に反対する人、何かの行事で国歌を歌うこと自体に反対する人がいれば、それはたいへんな誤りだ。国家に人生の基盤を置き、そこから逃げたり、破壊しようとするのでない限り、国民であることを思い起こす方法はいろいろあっていい。国歌はその一つたり得る。国歌がなければ、外交で不都合を生じるのは言うまでもない。
「『君が代』は、天皇のための歌であって、国民の歌でない」と考える人もいるのかもしれないが、それもおかしい。この歌は、特定の人を賛美するものではない。また、この歌の中には、天皇による統治のニュアンスも、中央集権や自由の抑圧のニュアンスもない。
あなたの世が永遠にという歌。そのあなたとは、日本国民統合の象徴であるあなただ。その世が永遠に続いて欲しいという歌に何か不都合があるとする、理屈にかない、心から共感できるような説明を、未だ聞いたことがない。
日の丸・君が代論争の類は、平和を保とうとする崇高かつ重要な議論や動機を、矮小化あるいはすり替えようとしているとしか見えない。その思いは子供時代から変わらない。するべきことはほかにある。