大ヒットした映画「千と千尋の神隠し」(2001年、東宝)。登場人物、10歳の少女千尋は、両親と共に人間が立ち入ってはならない異界に迷い込んで、両親と引き離され、神々の湯治場で強制的に働かされる。けれども試練を経て遂に両親を取り戻し、日常の世界に復帰するという物語。これのキャラクターの名前について考える。
物語の導入部で、千尋は異界の主人から正しい名前を奪われ、「セン」と呼ばれる。千尋(チヒロ)の頭の文字一字「千」を残したわけだが、なぜそんなことをしたのか。「チ」とか「ヒロ」とかでないのはなぜか。
また、異界の千尋を陰に日向に支える少年は、やはり異界の主人から正しい名前を奪われ、「ハク」と呼ばれている。彼の正しい名前は「ニギハヤミコハクヌシ」なのだが、なぜ「ハク」とされたのか。「ニギ」とか「ハヤ」とかではないのはなぜか。
このココロは、あるいは何かの本に書いてあるのかも知れない。しかし作品をDVDで何度か観ただけで解説の類を読んでいないため、以下は全くの推測である。
センは1000であろう。
ハクは100(ヒャク)であろう。あるいは「百」から「一」を取った「白」、つまり99であろう。
彼らは番号で呼ばれていたのだ。これにより、正しい名前を奪われ、故郷を奪われ、家族を奪われ、本来の自分を奪われ、強制的に働かされた。
さて、かつてプリーモ・レーヴィという人がいた。1919年、イタリア・トリノ生まれの化学者にして作家。小説も書いている。
ユダヤ人家系のイタリア人で、第二次世界大戦中、レジスタンスに加わった。だが不幸にして活動中に捕われ、アウシュヴィッツに送られる。彼によればこれは「幸運なこと」だった。労働力不足から、ナチが収容所での殺戮を一時的に中止する決定を下した後だったからだ。とはいえ、収容所での経験は過酷を極めた。
彼はさらに幸運なことに、生きて終戦を迎え、後にアウシュヴィッツでの経験をいくつかの著作として残している。その最初の本が「アウシュヴィッツは終わらない」だ。
この本の序で、彼は「考えてほしい、こうした事実があったことを」と記し、それは著者の“希望”や“願い”などではなく「これは命令だ」と訴えている。彼以後に生きているわれわれ全員に対してだ。
書名の通り、かの邪悪な過ちは、今後も繰り返し行われると、彼は確信している。
アウシュヴィッツで、彼は正しい名前「プリーモ・レーヴィ」を奪われた。腕に「174517」と刺青で刻まれ、解放されるまでの間、その番号で呼ばれ続けた。
彼にとって、アウシュヴィッツでの苦痛、屈辱のすべては、この番号で呼ばれたことに凝集されていたらしい。彼は後の1987年に自殺してしまうのだが、その墓石にはあの番号「174517」が刻まれているという。墓石がある限り、「174517」と呼ばれたことに抗議し続ける、そんな強烈な怒りを感じる。
プリーモ・レーヴィは「174517」と呼ばれることで、正しい名前を奪われ、故郷を奪われ、家族を奪われ、本来の自分を奪われ、強制的に働かされた。
人を番号で呼ぶことには、三つの薄気味の悪い、否、邪悪な効果がある。
1.名付けること、名を知ることは対象を呪術的に所有することを意味する。だから、番号を付けることで収容所は当人を所有し直す。
2.番号だから、たとえば174517番の次は174518番というように代替が可能である。つまり誰でもいい=個体としての意味、その人であるという特殊性を奪うことができる。
3.誰からも知られ得る。「ここにいる連中は1で始まる6桁の番号で呼ばれている」などという簡単な条件だけ与えれば、174517番という個体があることは誰にもわかる。つまり、顔を見る前から、誰からも所有され得る。
千尋とニギハヤミコハクヌシは、それぞれ正しい名前を恢復して自身と両親と日常を取り戻した。174517番は、イタリアの故郷に帰って、プリーモ・レーヴィとして、アウシュヴィッツでよりも平穏に暮らした。
今日、あなたにも私にも、改正住民基本台帳法によって11桁の番号が付けられている。
このことを思い出すたび、センとハクとプリーモを思い出す。センとハクとプリーモを思い出すたび、2002年8月5日以来、私は家畜としての人生を生きていることを思う。