スラム化する電車

壊れた世界

昨日(2007年1月20日)の日本経済新聞の別刷り「NIKKEIプラス1」の「何でもランキング」は、「気になる車内のマナー」。インターネットで1000人のに尋ねた結果、「子どもが靴を履いたまま席に立つ・座る」「ごみを残していく」「騒いでいる子どもがいるのに親が注意しない」など、20位までのランキングを載せていた。

「携帯電話で通話する」を除けば、いずれもマナーに反する昔からある例と感じたが、近年とかつてとで決定的に違う点は、「マナー違反を注意したら逆ギレされた」だろう。そもそも、悪いことだと教わっていない人が、突然悪いことと指摘を受ければ怒り出すのも、まあ残念ながら当然だ。

 18歳で上京したとき、電車に乗って驚いたのが、小さな子供たちが車窓の外を見るのにシートに上がるその足が、ほとんどの場合土足だということだった。靴を脱がせる親も、注意する人もいない。見ているこちらは眉をひそめて、その子たちが大人になる時代、これからとんでもない世の中が来ると思ったものだ。

 誰も気付いていないのか、気付いているけれども、あまりにもたいへんなことなので黙っているのか、誰もそうと言わないけれども、首都圏の電車は、スラム化している。普通の収入のある、分別のある大人が乗るには値しない乗り物になりつつある。スラムトレイン。

 このままいけば、通勤電車も、一等と二等とに分けざるを得なくなるだろう。最近の技術なら、今まさに入線しつつある電車の一等車の好みの座席をケータイからキープするなどということは、できないことではないだろう。

 ただ、電車という乗り物が、それでいいのかどうか。世界最大の人口集積が、スラムによって屋台骨を支えられているという有様でいいのかどうか。この問題を放置しておけば、ことは本当に、「一等席の設定で、売上げ○○%アップ」、あるいは「電車スラム化で、高級車に小型化の潮流」などというくだらないビジネスネタに流れて終わってしまう。

 問われているのは、国家の戦略の一つのはずなのに。

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