3日後が投票日だというのに、投票所入場券が届かない。おかしいと思って、選挙管理委員会に電話した。すでに発送は終えているが、届かない場合は、入場券がなくとも投票所で名前を申し出れば投票できるという。それで一つ安心したが、別な心配が起こる。
「入場券がない場合、身分を証明できるものがなにか必要ですね、免許証などがよいかと思うが、それがない場合は他に何があれば本人と確認してもらえるか」と尋ねた。答えを聞いて腰が抜けた。
「特に必要ありません」
それでは不正投票をしてくれと言っているようなものだ。「身分を証明できるものの提示を求めるべきですよね、私は持っていきますよ」、そう伝えた。
「そうしてもらえると助かります」
――いやいや、そういうことではない。誰に対しても、しかるべき手段で身分を証明するように求めるべきでしょうと話す。
答えは、実はそうしたいのはやまやまで、かつてはそのようにしていた、というもの。ところが、昨今は「個人情報保護の観点から、それが求められなくなってきました」という。
は?
ここに立っている自分が自分であることを証明することと、個人情報を守ってくれということとは、レベル(尺度)の違う話だ。どうしてそんな変なことを言うの?
「最近の選挙で、そのように身分を確認しようとしたところ、『不愉快な思いをした』という苦情があり、かつてのように必ず必要とは言えなくなった。自主的に身分を証明できるものを持ってきてくれるのはありがたい」。そんなことを言う。
それでは不公平だし、不正を助長しているようなものだ。いや、「ようなもの」ではなく、明確に助長している。幇助している疑いさえある。
待て待て。投票所入場券は発送したのか、また投票所入場券がなくとも投票する方法はあるのか、それを聞きたかっただけだ。善良な職員さん、委員さんを困らせるつもりで電話したのではない。それで、「みなさんが屈託なく、誰に対しても『身分を証明できるものを提示してください』と言えるためには、市の条例を変える必要がありますか、都の条例を変える必要がありますか、それとも国政レベルの話で法律を変える必要がありますか」と尋ねた。ところが、どうもそれが分からないらしい。
それはそうだ。だってこのことは、個人情報保護法とも、個人情報を大事にせよという主張とも、関係ないことのはずだからだ。
何か間違っている。まず選挙管理委員会、その事務をしている職員が、個人情報保護について、なにかたいへんな誤解をしていると思う。そして、身分の証明を求められて不快に感じて文句を言ったというその人も、たいへんな誤解をしている。
何かを心配することなく、自分が自分であることを認めたり、相手に分からせたり、そういったことをスムーズにできるようにするのが個人情報保護法の趣旨だと思うのだが、どうなのか。
どうも世の中、とんでもないことになっている。