成功体験の落とし穴。その名は万能感

想う伝える

3月の末から、犬を飼い始めた。子供の頃も、犬を飼っていたことがあるけれど、あの頃はよい飼い主ではなかった。友達と遊んでばかりで、ろくにかまってやらなかった。心を入れ替えて、よい飼い主たるべくちょっと勉強などしてみた。

 意外だったのは、散歩の作法。子供の頃読んだ本には、犬が行きたい方へ行くよう、自由にさせるとあった。今でも、犬を連れて歩いている人のほとんどは、犬が前を歩き、行きたいように、やりたいように、自由にさせている。ところがこれが大間違いだという。

 犬は上下関係をはっきりさせ、その序列の中で生きようとする。そこで、散歩のとき犬が先を歩くということは、犬がリーダーで、飼い主が子分という形になる。リード(引き綱)で引かれているのは、犬ではなく人間だからだ。正しくは、リードを短めに持ち、犬が人間の前に出ないようにする、のだそうだ。

 散歩中の排泄も原則禁止。外に出たら便をすると覚えれば、犬は排泄のために散歩に連れて行けとせがむようになる。こうなると雨でも散歩に行かざるを得なくなる。結果、飼い主は犬を飼っていることを重荷に感じかねない。

 いちばん面白かったのは、吠えたらかまうというのはいけないということ。吠えた結果かまってもらえた、吠えた結果餌が出てきた、ということが繰り返されると、犬は吠えれば思った通りになると信ずるようになる。

 これ、知ってた。人間もそうなのだ。「万能感とは何か」という本で読んだ(交流分析の本です)。

 赤ん坊は、おむつが湿ると泣く。すると親が来て、おむつを替える。すっきりする。腹が減ると泣く。すると親が来て、ミルクを飲ませてくれる。空腹が満たされる。眠くなると泣く。すると親が来て、よしよしと寝付かせてくれる。何があっても、泣きさえすれば解決する。

 この世は、すべては思いのまま。かなえられないことは何もない。これを万能感と言う。

 成長の過程で、この万能感を断ち切っておかなければ、後々とんでもないことになる。何かやってうまく行くと、次回以降も同じことをやればうまく行くと信じてしまうのだ。

 勉強したらほめられた。それで、勉強しさえすればほめられると、無目的にでも勉強を続ける。戦って勝てば、戦いをやめなくなる。何かを売って儲かったら、時代が変わって売れなくなっても、それを売ろうとする。レストランを作って儲かれば、人気が落ちても、自社競合が始まっても、出店しようとする。

 秦の始皇帝も、織田信長も、中内功も、この轍でしくじったのだという。

 成功体験は、次へ進むための強力なエンジンになるけれど、そんな危うさも秘めている。

 うまく行っているときほど、「泣けばいいのではない」と自戒したい。

※交流分析は読み物としてお楽しみください。

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