23年連続新車登録台数増、“コト売り”と“絆づくり”を軸としたブランド構築――ハーレーダビッドソン ジャパン(HDJ)がマーケティング、ブランド、顧客満足について注目を集めている。たくさんの本が出ているので、その戦略がおよそどんなものかはだいたい見えてきたものの、それをリードした社長の奥井俊史さんという人がどんな人物なのか、どうしても会って話をうかがって知りたくて、書いてみたくて、取材を申し込んだのが9月。記事を書かせていただいた「日経ベンチャー」12月号が昨日手もとに届いた。
奥井社長はこの12月いっぱいで退任されるので、恐らくは現役中最終の“長もの”の記事。それを思うと、私の身のほどを超えた仕事に思えて、書くのにとても緊張して逡巡もしたけれど、なんとか形にできてほっとしている。
奥井社長は、果たして実に仕事に厳しい方だった。社内では、社歴の長い人ほど、奥井社長を恐れている。仕事の細部にわたって、考えた通りでなければ納得しない。納得しないと、はっきりと、丁寧に怒って見せる。見せるじゃなくて、本気で怒る。会議に出たお茶がまずくても怒る。わがままなんじゃなくて、それが“らしくない”と思うと、とにかく許せない。
奥井社長が就任してまずやったことは、「ハーレーらしさ」を見つけ、それを伸ばすことだった。その“らしさ”を徹底的に伸ばし、“らしくないこと”は徹底的に排除した。そう言うとワンマンの中央集権に思えるけれど(確かにワンマンと言えるのかも知れないけれど)、実はその「ハーレーらしさ」の根幹に当たるものの一つは、“誰もが自分なりのハーレーの世界をつくっていける自由さ”の増幅だったと思う(このあたり、詳しくは「創発するマーケティング」で薬袋貴久さんが書いている)。だから奥井社長がしたことは、社員と、販売店と、ハーレーオーナーのそれぞれに、ハーレーに対してまじめに向かうことを求め、一人ひとりの背中に羽根を付けることだったのだと思う。
社員のみなさんは、ときに気の毒になるほど奥井社長の一挙手一投足に神経を集中し、ぴりぴりしている。でも、嫌そうには見えない。奥井社長が示すハーレーの世界がやっぱり好きなのだろうし、まじめなのだと思う。一緒に取材してくれたカメラマンの高橋久雄さんが、奥井社長に向けたカメラのファインダーをのぞきながら漏らした一言が、「学校の先生みたいだね」というもの。奥井社長は赤ペンを手放さない。そして、社員のみなさんに言う言葉は厳しくきつくても、やっぱりその一言ひとことに、期待が込められている。自分の高校時代、中学時代の先生を思い出しながら、なるほどと思った。
販売店の方々とは、絶妙な緊張をともなった信頼関係を築いている。販売店はHDJとは資本関係のない、1社ごとに独立した企業で、それぞれの社長も、会社の事情もさまざま。だから、HDJと販売店との関係も、販売店の数だけ異なる多様な有様がある。それでも共通しているのは、“確かに儲かる”という納得と“やっぱりハーレーの世界が好きだ”という共感だ。
でも、もう一つあるのは、やはり奥井社長と各販売店の社長、スタッフとの、お互いに計算も感情もある人間同士のかかわり合い。経営として、システムとして育ててきたと奥井社長は説明するけれど、やっぱりそのほとばしるほどにも血の通った付き合い(ときにぶつかり合い)があったから、絆とシステムが出来たのだと感じた。人間の体験と感情によってつくられるブランドに、やっぱり、それは欠かせない。
「長崎ハーレーフェスティバル」にもうかがった。ハーレーオーナーのみなさん、やっぱり幸せそうだった。わいわいがやがやと楽しそうというよりは、体の外にじんわりと幸福感がにじみ出てきている感じ。ハーレーに対する“濃ゆさ”は人によってさまざま。全身ハーレーグッズで固めている人もいれば、そこはかとなくハーレーな人、ハーレーに乗ってはいるけれど、ハーレーグッズはほとんど身に付けていない人まで。そのかかわりの濃さを自分で選べるのも、ハーレーらしさなのだと感じる。
学生時代、ホンダに乗って北海道をVサイン出しまくりながら走った(若気の至りです)身としては、ハーレーオーナーと言えば、大なり小なり会社の社長で、あるいはお医者さんで、ちょっと近づきがたい、ジャパニーズライダーの埒外の人たちというイメージがあった。けれどもあれから20年、ハーレーオーナーは全く違う人たちだった。いや、違う人たちが増えていた。私の記憶にある往年のハーレーオーナー(=お金持ちのおじさん・おじいさん)も健在。でも今は、20代の若い人もいるし、女性も多い。しかも、決して無理して乗っている感じはなくて、淡々とハーレーの世界を楽しんでいるように感じた。
奥井社長就任当初、「年間5000台も売ったらハーレーじゃなくなる」と成長戦略に反論もあったと言うけれど、現在年間1万5000台を売るハーレーの新しい世界は、確かにかつてのハーレーの世界とは違う。でも、そのかつてのハーレーの世界は、奥井社長の感覚としては“ハーレーらしくない”世界だったのに違いない。
ああいうタイプの自由さとにじみ出る幸福感を感じさせるブランドは、案外少ない。かつてのMacintoshはそうだったのか。今は、私にとっては仕事の道具になってしまった。iPodならもう少し近いか。アパレルのブランドの多くは、「主人と奴隷」に見える(以前、私たちが企画したブランド評価プロジェクト「ブランド・ジャパン」の発表会で、デービッド・A・アーカーがMicrosoftを暗示しながら「主人と奴隷」と書いたPowerPointのスライドを見せて、満場を爆笑と拍手で沸かせた)。食べ物ではもっと少なく見える。ハーレーのように育てられる可能性を持った商品、サービス、企業はもっとあるはずなのだけれど。
記事は奥井俊史さんという一人の経営者にスポットを当てるものだったので、今回は販売店の方々とハーレーオーナーの方々の心や姿はほとんど紹介できなかった。でも、今日の日本のハーレーの世界を築いた人たちの中には、奥井社長の戦略に共感どころかそれを加速した販売店の方々もいれば、カリスマ・ハーレーオーナーの方々もいたはず。その方々のことをお伝えできなかったのが心残り。たとえば里見八犬士や真田十勇士のように、ぜひ、そうした方々の列伝を書かせていただく機会も作りたい。
ともかくともかく、取材でお世話になりましたHDJの方々、販売店各社の方々、ハーレーオーナーの方々、カメラの高橋久雄さん、西島善和さん、本当にありがとうございました。