「月刊PLAYBOY・日本版」(集英社)が、2009年1月号を最後に休刊する。その終刊号を書店で見かけ、考える間もなく取り上げてレジに並んだ。書籍ではなく雑誌の編集者を志す気持ちを起こしてくれた雑誌が、私には3誌ある。その筆頭が「PLAYBOY」(言うまでもなく「月刊PLAYBOY・日本版」。似た名前を持つやすっぽい週刊誌もあるけれど、あれは「週プレ」と言って、私から見れば「PLAYBOY」とはなんら関係のないもの)だったのだけれども、この十数年、手にもせず気にもしていなかった。申し訳ない。
初めてこの雑誌を見たのは、中学生のときだった。当時大学生だった兄が持っていたのを盗み見たのだけれど、中学生には刺激が強すぎたなあ。女性の裸の写真を見たのは、あれが最初。それでびっくりしちゃって、もちろんそのときはほかのいろいろなことを冷静に考えるなんてことはなかったんだけれど、今思えば衝撃は裸以外にもあった。
なんと言っても、あの重さ。総グラビアで、ほとんどのページがカラー。重くなるのも当然なんだけれど、あの重量感も間違いなく「PLAYBOY」が持つスタンダードの一つだったと思う。どのページにもきれいな写真があって、イラストがあって、極彩色で、それだけに紙の白さが際立って、重たくて。そういう出版物があるとは、あれより前には知らなかった。
高校生の頃、2~3回買ったろうか。1冊買えば当時の1カ月分の小遣いはあっと言う間に吹き飛んだので、金額面でも内容でも、めいっぱいの背伸びだった。全ページ、まるまる一冊、大人の世界を感じたもの。裸の写真はもちろん、酒、たばこ、きらきらと光る時計、高級車の広告。美しいレストランの見たこともない料理、ホテルからの夜景。そして、世界中の有名人の写真とせりふ。雑誌は三つのささやきを持っていた。「大人になりな」「都会においで」「お金持ちになろうよ」。
そうそう、大人になってからも実は数回しか買っていないので、「雑誌の編集者を志す気持ちを起こしてくれた」とか言いながら、ずいぶん冷たいものだ。大学生の頃も2~3回しか買っていない。でも、やっぱり受けた影響は大きい。学生時代に雑誌編集のアシスタントのようなことをして、漠然とそれを仕事にしようというイメージがあった。その私に、「PLAYBOY」はこう言った。「記事は面白くて丁寧でなくちゃ」「誌面は圧倒的にきれいでなくちゃ」「一冊の中に硬軟両方なくちゃ」。
考えてみれば、編む側も、読む側も、実にお金のかかる雑誌だった。そして徹頭徹尾、大人の男性の雑誌だった。それやこれや考えると、今日「PLAYBOY」が生き残りやすい理由は全くない。消費者も、広告主たり得た企業も、出版社も、お金がないと言っている。酒が売れない、たばこが売れない、車も売れない。分別のある大人は人前でヌードグラビアを見ない。都会に住む人が増えるのにつれて、多くの人が田舎に憧れるようにもなった。
時代は変わった。
でも、いちばん変わったのは、大人の男性がいなくなったことだと思う。電車に乗って、20代のみんなの中学生のようなおしゃべりを聞き、30代のサラリーマンが血眼になって小型のゲーム機を操作しているのを見るにつけ、東京は子供の国になったんだなと感じる。
40代以上はどうなっているか? たくさんの不祥事や事件の主人公としてテレビに出ることが多くなった。これじゃ大人の世界にあこがれなと言うのは無理。
低予算で受け継げるものは何だろう? 冷静で、スリリングで、丁寧なインタビューを書いてほめられたいな。もしほめられたら、「『月刊PLAYBOY・日本版』にあこがれたからです」って言ってみたい。休刊になっても、このあこがれは終わらないと思う。このあこがれは財産。それをもらえたことに感謝したい。
これまで「月刊PLAYBOY・日本版」の編集に携わった編集者、カメラマン、デザイナー、そして取材された多くの方々に敬意を表します。ありがとうございます。そしてお疲れさまでした。
でも、寂しいこと。