飲食店でときどき、こんな言葉に出くわす。「本日は数ある料理店の中から当店へご来店いただき、 ありがとうございます」。そんなせりふが、箸袋やお品書きに書いてあったり、わざわざそういうことを書いた紙片をくれたりする。実際に面と向かって口で言われて、腰が抜けそうになることもある。
こういうせりふ、個人的にあまり感心しない。ふらりとその店に入ったのは、たいていは“なんとなく”なのだ。それを、ことさら“奇跡”のように言われると、とんでもない重大なことをしてしまったようにどぎまぎしてしまう。居心地の悪いことこの上ない。
何か店のよい噂を聞きつけて、一生懸命探して来たお客になら、そう言ってもいいのか。いや、どうも違う。わざわざ来てくれて「ありがとうございます」はいいとして、それは「数ある店料理店の中から(選んで)」来たということになるのか。
本当によさそうな店だと思ったのなら、別に他の店と比べてみたわけではないだろう。もし比べて選んだのなら、むしろ来店動機としては弱い。あれかこれかと迷ったということだから。わざわざ指摘してもらうような、素晴らしい判断と言えるかどうか。
馴染み客はどうか。急にそんな他人行儀なことを言われれば、「なにを言ってやがん」と気を悪くするのではないか。
本来「数ある店の中から」というのは、そのお店の人一人ひとりが、心の中でそっと思っていればいいことのはずだ。「なんとなく来店したお客かもしれないけれど、私にとっては、この人が来てくれたことは奇跡」と思って、その奇跡に見合うだけのせいいっぱいの仕事をしようと、心密かに思うべきことだ。
それを紙に書いて押しつけたりたり、口でことさらに言ったりした途端、ぐっと安っぽくなる。今日知り合って、これから親しくなろうという友達に、「よくぞオレと友達になってくれた」なんて言われたら、どう思うか。他意がありそうで気味が悪いし、押しつけがましくも聞こえる。「まだそんなすごい友達同士になったわけじゃないじゃないか」とも感じる。うれしくても、そういうことはそっと心にしまっておいて、死に別れる間際にでも枕元で言ってやればいいのだ。
感謝の気持ちを言っているにもかかわらずに、押しつけがましく、人をいらだたせる言葉というのはある。最もひどいものは、よくトイレに貼り付けてある。「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」というもの。「もしもきれいに使わなかったら承知しない。そんなひどい奴は、この店に来るお客の中ではお前だけだ」という、すさまじい響きがある。
「数ある店の中から」にも、これと似た脅迫のようなニュアンスがある。「お前もこの店に来たことをすごいと思え。感動して帰らなかったら承知しないぞ」と言われているようだ。
どうしても「数ある店の中から」と同じ趣旨のことを伝えたいのなら、「ようこそ」という短く優しい言葉が昔からある。その一語に気持ちを込めればいいはず。伝えるべきは気持ちであって、「数ある……」という理屈で考えさせるようなものではないのだ。
人に聞かせる言葉と、自分に言い聞かせる言葉は違うので、混同しないようにしたい。